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夏休みの宿題代行業者に賛否両論! 業者利用で夏休みの子どもが得るもの・失うもの

■夏休みの宿題を「早めに済ます派」だった立派なひとには分かるまい

あああ、もう8月も後半に入ってしまった、どうしよう。こうしている間にも刻一刻と迫る、夏休み最終日。幼い頃から一貫して、夏休みの宿題をきっちり最終日まで山盛り残すダメ学生だった私にとって、夏休みの終わりの思い出はいつも「詰んでる自分」だ。

お盆を過ぎると、不穏な脳内カウントダウン開始。「今日からやらなきゃもうダメだ」「いや明日からでもどうにかなるんじゃ?」 そんな天使と悪魔の囁きの狭間で、結局今日も明日も(しょーもないことで)遊んでしまう。「明日から本気出す」。明日っていつだよ!と自分にツッコむうち、あっという間に最終日・・・というこの一連のくだりに「うんうん」と共感していただける方、私、仲良くなれそうです。

■宿題代行業者は「ズルい裏技」か「合理的選択」か

毎年この時期になると、夏休みの宿題代行サービスが問題になる。ある業者では読書感想文1枚2,500円、自由研究15,000円、卒論は1文字10円だとか。だよなぁ、そういうビジネス、やっぱり作っちゃうよなぁ。で、お金払って使っちゃう人だっているよなぁ。と、昔ダメ学生だった私などは思ってしまう。でも、そんな私でも宿題は自力でやった。当時(ちなみに昭和)、そんな代行業者なかったし、もちろん親も先生も許すわけないし、お金ないし。鬼のような瞬発&集中力で、多少は先生に泣きを入れて締め切りを延ばしてもらいながらもどうにか納期までに入稿したものですよ、って、ヤダいまのライター人生と同じじゃない! 「三つ子の魂百まで」ってホントね!

宿題代行とか論文代行とか、レンタル彼女(彼氏)なんてのもそうだけれど、みんな一度は「そんなサービスがあったらいいのに」と夢想したことがあるようなドラえもん的ニッチビジネスが最近本当に出てくるから困ってしまう。宿題も論文も安易に代行してもらえず、彼氏も彼女も安易にレンタルなどできないからこそ実際にできたときに「いい」のであって、そんなお金払えば簡単に買えちゃうチート(ズルい裏技)は、その瞬間はしてやったりとほくそ笑んでも、あとで強烈に虚しいってものだ。だって、自分何一つ努力していないもの。達成感のかけらもないもの。最近のゲームでもあるでしょ、課金で簡単に限りなく強くなれちゃうやつ。

■チートで失う「プロセスの愉しみ」

夏休みの読書感想文や自由研究とは、確かに小学校の高学年くらいより上になると、受験準備やら、野球やサッカーのリーグ戦や部活やらで忙しかったりで、「なんだこの宿題、形式だけでくだらない」って思いがち。それはわかる。しかし、なぜその「形式クサくてくだらなく見える」宿題が日本の義務教育では連綿と行われているのかに思いを馳せてみると、つまりこれは「プロセスの愉しみを教える教育」なのである。

彼氏/彼女ができるまでに例えると、イイなと思った子の周辺を調査して、どんな子なのか何が好きなのかを知り、有効なアプローチを模索して、段取りをシミュレーションし、やがて照準を定め行動に出てついに思い叶う的な(かなり端折ったけど)。調査力、段取る力、シミュレーション力、行動力、さらにはリアルなコミュニケーション表現力。意外にも「生きる力」がフルパッケージで入っている、それが夏休みの宿題なのだ。

「イイな」→「いきなり思い叶う」では、趣もへったくれもあったものじゃないでしょう。代行業者利用で子どもが得るものは、「その瞬間の恐怖やプレッシャーからの解放」または「お金を払えば悩みは解決できるという空虚な社会認識」。失うものは「ただでフルパッケージの生きる力を養成するチャンス」または「夏の終わりの達成感」、あるいは「締め切りギリギリまでフルスロットルで走り抜ける集中力」。勉強“させてもらえる”なんて学生のうちだけなんだから、簡単に結果だけ買っちゃダメだよ。ほら、昔ダメ学生だった私も、いくつもの夏休み最終日を経て、どうにか締め切りまでにこの原稿を書き上げる大人になったよ!(笑)

※情報は2015年8月21日現在のものです

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