賛否両論あった東京オリンピックが終了しました。日本勢は大活躍で、金メダルが27個は、史上最多(世界3位)。メダル総数58個は、リオ五輪の41個を大きく上回り、史上最多で、米国、中国、ROC(ロシアオリンピック委員会)、英国に次いで世界5位になりました。
多くの感動を私たちに与えてくれたアスリートたちに敬意を表し、過去のメダリストたちの成功法則を2回に分けて取り上げます。
※敗戦(敗北、失敗)に学ぶ
・田口信教(男子水泳、ミュウヘン五輪金メダル)
メキシコシティー五輪準決勝で世界記録を出しながら、泳法違反で失格。猛練習で「新田口キック」を完成し、ミュウヘンで金メダルを獲得しました。「“金メダルを獲りたい”ではなく、“金メダルを獲れる”と思うから執念が持てる」と振り返っています。
・北島康介(男子水泳、アテネ五輪金メダル、ソウル五輪金メダル)
17歳でシドニー五輪に初出場。4位入賞も全く喜べなかったといいます。「オリンピックに出ても、勝たなければ喜べないんだと気づかされました」。4位入賞を敗北ととらえ、その悔しさをアテネ、ソウルの2大会連続金メダルに結び付けました。
・吉田沙保里(女子レスリング、アテネ、ソウル、ロンドン五輪金メダル)
アテネのときのライバル、59キロ級世界チャンピオンの山本聖子に通算4勝5敗だった。「私は勝ち続けることで成長したのではなく、負けて強くなってきたんです」。ライバルに負けたことが、3大会連続の金メダルへつながったのです。
※創意、工夫
・君原健二(男子マラソン、メキシコシティー五輪銀メダル)
トラックは必ずアウトコースを走りました。そうすると、インコースに比べて一周6メートルの差が出ます。100周で600メートル差。アウトコースを走り、インコースの走者に負けないようにして、力をつけました。「紙一重の厚さも、重なれば本の厚さになる」ということです。
・松平康隆(男子バレーボール監督、ミュウヘン五輪金メダル)
当時の日本代表チームは、ヨーロッパ遠征で22連敗するなどとても弱かった。このままではダメと思った松平監督は、日本人の気性や風土に合ったものを自分たちで創造するために、毎日、昨日と違った練習に取り組みました。「創造性のないチームは、世界一になれない」とし、今では当たり前になっている「Aクイック」「Bクイック」「一人時間差」などを編み出し、ミュウヘン五輪で金メダルを獲得しました。