元日本テレビ解説委員で、現在は各メディアでコメンテーターを務める岸田雪子氏が、子育て周辺の話題を取り上げる新連載「岸田雪子のBloom Room(ブルームルーム)」。親子の笑顔の "つぼみ" を花開かせる小部屋です。今回は、"ジェンダーバイアス" について考えます。
「元アイドル」の経歴を持ち、フリーで作家やライターとして活動する大木亜希子さんの発信が反響を呼んでいます。
大木さんが「魂が死んだ」という場面は2つです。1つは、アイドルグループを卒業後、転職した一般企業でのこと。大木さんが作った請求書に不備があった時にかけられた、「元アイドルって請求書もマトモに書けないんだ」という言葉。
もう1つは、企業との打ち合わせで「ビールでもお酌してあげてよ」と言われた時のことでした。相手の男性に対して大木さんは「仕事の現場でお酌は一切いたしません」と「反撃」したそうです。
このエピソードにネットでは共感の声があがる一方、冷ややかなコメントも目立ちました。
お酌—。やっかいな文化です。空いたグラス、空きそうな盃に酒を注ぐ行為。気づいた人が、優しさや思いやりの心から自然に行えばよいようにも思えますが、集団や人間関係によっては、注がれる者と注ぐ者との上下関係を浮き彫りにさせてしまう。
私が大木さんの記事を読んだ最初に感じたのは、申し訳ないような、反省の気持ちでした。私自身、「女の子はお酌して」という言葉は何度となく、かけられたことがありました。そう言った相手は男性とは限らず、女性の先輩から「お酌要員」として、男性の隣の席に座るよう指示されたこともあったと思います。
ですが私は、さほど違和感を覚えることもなく、いえ感じていても、そのことに気付かないふりをしながら、その役を受け入れていたと思います。だからといって、自分より若い世代に同じ役を求めたことはないのですから、やはり違和感があったのでしょう。
ですが、そうした「黙って受け入れる」ことの積み重ねが、「男社会」なるものを長く続かせ、大木さんのような若い世代の女性たちを苦しめているのかもしれない、と今は思うのです。
■アンコンシャスバイアスを生まない、家庭教育の大切さ
男社会で生きるには、そうするしかなかった、というほど覚悟があったわけでもありません。おそらく、社会に出る前の、家庭での言葉がけから、「女はこうあるもの」「女だからやらなければならないことがある」と刷り込まれていたように思います。
だからこそ、家庭での教育の大切さを感じます。さすがに今は「女は男を陰から支えよ」なんて家庭教育はないにしても、「男の子なんだから泣かないよ」とか「女の子なんだからお料理のおもちゃで遊ぼうね」などと、悪意のないアンコンシャスバイアスを、次の世代に引き継いでしまわないように。
例えば、母親も働く姿を見せ、父親も家事に勤しむ姿を見せることは、自然なジェンダー教育の1つにもなるでしょう。
森元首相の発言から、大きな議論になったジェンダー平等の課題。過渡期を生きる世代にとって、気を付けたいのは、相手を攻撃しない、「学びあい」の姿勢ではないでしょうか。
男性のこの発言が悪い、とか、こういう女性がダメ、などと批判するのではなく、男性も女性もそれぞれが抱えてきたはずの「しんどさ」を互いに知ろうとするところから始めたいと思うのです。
女性が生きやすい社会は、きっと男性にとっても生きやすいはず。子どもたち世代に残したい社会づくりの一歩を、まずは自分にできるところから積み重ねていければと思います。