毎日働き続けて必死の思いで手にしたお金の一部は、“税金”と名を変え私たちのもとを去っていく。こうして国民から集められた税金は、私たちみんなの生活を豊かにするために使われているはずなのだが、税金がどのように使われ、生活に還元されているかはなかなか実感する機会がない。
俺たちの税金はどこへ行くのか――その真実を明らかにすべく「For M」編集部は、現在巨額の税金が投入されている現場に足を運び、その実態を直撃取材する。
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「宇宙開発」――あまり身近に感じない分野かもしれないが、宇宙開発関連には毎年およそ3000億円の税金が充てられている。その約半分、1500億円の対象機関が、宇宙航空分野の基礎研究から開発・利用までを担う宇宙航空研究開発機構(JAXA)だ。 JAXAでは現在、2020年度の試験(機)打上げに向けた新型ロケット「H3」の開発プロジェクトが進行中で、その事業規模は1900億円にも上る。
ロケットといえば、2015年は油井亀美也宇宙飛行士がロシアのロケットで国際宇宙ステーションへ飛び、帰還したシーンが記憶に新しいが、日本のロケットが運んでいるのはヒトではなくモノ。通信・放送、天気予報やGPSといった地球上のあらゆるサービスを可能にする人工衛星がメインだ。
現在、JAXAが宇宙へ人工衛星を輸送するのに使っているのは、これまで連続24回の打ち上げに成功している「HII-Aロケット」。そんな実績のあるロケットがあるのならば、わざわざ税金を使って新型ロケットを作らなくてもいいのでは? という意見も当然出てくる。そんな疑問を晴らすため、「For M」編集部はH3ロケットの開発に携わる岡田匡史さんに直接話を伺うことに成功した。
岡田さんは、東京大学で航空学の修士課程を修了後、NASDA(JAXAの前身)でロケットエンジン開発試験を担当したほか、H-IIAロケットのプロジェクトチームの一員として液体燃料ロケットの開発にも携わったバリバリのロケットエンジニア。きっと、こちらの疑問がすっきり晴れるような話を聞けるだろうと、私たちは岡田さんの待つJAXA筑波宇宙センターへ向かった。
「こんにちは、今日はよろしくお願いします」
てっきりJAXAロゴの入ったつなぎ姿の男性が現れるとばかり思っていたが、ドアを開けて入ってきたのはスーツでビシッと決めた誠実な印象の男性だった。聞けば、現在はエンジニアではなくH3ロケットの開発を束ねるプロジェクトマネージャー(PM)だという。つまり、国民の税金によって遂行する国家プロジェクトのキーマンだ。
岡田さんはPMという重責を担う立場で、自身に課せられたミッションをどうとらえているのだろうか。インタビュー冒頭、意外な答えが返ってきた。
「私は国家プロジェクトのPMである以前に、JAXAという組織に属する会社員のような立場にあります。すべて私が思うように進むわけではなく、さまざまな制約もあります。そのなかで与えられたミッションを確実に遂げることが私の使命だと思っています」
私たちにとって税金を使う側という印象があるJAXAの職員が自らを会社員と名乗る。たしかに考えてみれば、会社員が会社の予算を自由に使えないのと同じく、岡田さんがH3の開発費を意のままにコントロールできるわけではないのだろう。
事業規模と言われている1900億円は一般企業でいう見込み予算に近いのかもしれない。であれば、その金額は妥当なのか。単刀直入に聞いてみる。
名刺にもエンジニアではなくプロジェクトマネージャと書かれている
「H3プロジェクトを成功させるために余裕がある金額とは言えません。国外の同規模のロケット開発費と比較して半分以下の事業規模です。ただし、予算が倍あったら完璧なものができるかというとそんなこともない。お金はあるにこしたことはありませんが、それをいったら際限がありません」
とてつもなく莫大な金額に思えるが、多いどころか少ない金額での成功を求められているようだ。勝算はあるのだろうか。
「コストのことも含め、常日頃思っているのは『ベストコンプロマイズ』。つまり、目標に向かっていかに“最良の妥協”をしていくかということ。徹底的に議論を尽くして納得できる目標を明確に設定した上で、市場など外の動きを見ながら、関係各所との調整を含め、2020年度の完成に向けてひとつずつやるべきことをクリアしていく。それを日々繰り返しています」
「最良の妥協」――淡々と語る岡田さんの言葉には、「ある程度の妥協をしてでも必ず成功させなければならない」という強い思いが隠れているように思えてならない。岡田さんをそこまで思い詰めさせるH3プロジェクトとは一体どんなものなのだろうか。
「このままずっとH-IIAロケットを使い続けていれば、そのうち日本は宇宙へ行けなくなってしまうんです」
24回連続打上げ成功、成功率96%超。世界最高水準の打上げ実績を誇るHII-Aロケットではなぜ宇宙への道が閉ざされてしまうのか。H3プロジェクト立ち上げの背景には、JAXAという組織が抱える問題があるようだ。
「JAXAで『ロケットを一から開発したことがある人』と挙手を求めると、だいたい50歳以上の人が手を挙げます。H-IIAロケットのひと世代前のH-IIロケットの開発に携わった人たちです。このまま何もせずいると、彼らが引退し、本格的にロケットを開発したことのない人がロケットを飛ばす日が確実に訪れます」
ロケット開発経験者のほとんどが50歳以上・・・科学技術の結晶と呼ばれるロケット開発の現場に後継者問題があったとは。
これからも「NIPPON」のロケットが続いていくことに期待したい
ただ、近年の動向として、海外では「Amazon」の創業者ジェフ・ベソス氏や、国内では堀江貴文氏といった事業家たちが民間企業を興し、ロケット開発に注力していると聞く。宇宙事業そのものが民営にシフトすることで、ロケットの開発や打ち上げに必要な技術力は今後広がっていくのではないか。だが、それでも「JAXAでやらなければならない理由がある」と岡田さんは語る。
「昨今の海外の宇宙開発市場や民間宇宙開発の盛り上がりは素晴らしいことだと思いますし、個人的にも応援しています。ただ、民間企業は業績など外的な要因を受けて、事業計画そのものが見直されることもあり得るため、開発が滞ってしまう可能性がある。そうしたリスクを考えると、やはりJAXAが率先して宇宙開発を進めなければ、日本が宇宙へのアクセス力をなくしてしまう日が訪れるのではないかと考えています」
なんとしても前の世代のロケット開発者がいるうちに、新型を開発して技術を継承しなければならない・・・。ロケット開発の必要性を訴える岡田さんの表情からは、今を生きる人、そしてさらに次、その次に生きる人々へと技術を継承していかなければならないという使命感がひしひしと伝わってくる。
「これまでの新型ロケット開発のプロジェクトは、極端に言えば試験機の打上げ成功が目標でした。しかし、H3は『世界に選ばれるロケット』にしなければなりません」
後継者問題の解決以外にも、H3は諸外国に「買ってもらう」ロケットという使命を担っている。
「民間企業による人工衛星の打ち上げが商業的に行われているのが、現在のグローバルスタンダード。どのような事業モデルを確立し、ロケットを売っていくのか。開発した後も国際競争で勝負できるシナリオを描きつつ、ビジネスとして自立できる仕組みを考えなければなりません」
たしかに、これまで日本のロケットは世界最高水準の打ち上げ成功率を誇りながら、欧州などの海外勢に市場競争で劣勢を強いられてきた。それは打ち上げにかかるコストが諸外国に比べて高かったことが理由のひとつにある。そんな現状を打破するのがH3であり、強みは「おもてなしの心」にあるという。
「H3は衛星を1機だけ載せて飛ばすことを考えています。対して、ヨーロッパでは、衛星を2機同時に搭載してロケットを打ち上げるのが一般的。2機の衛星打ち上げはコストの面で非常に効率がよいのですが、それぞれの打ち上げ時期が決まらないと発射できない。H3は1機なのでそういったデメリットがなく、迅速に打ち上げの対応ができる。つまり、H3はカスタマー・ファーストなサービスを提供したいという『おもてなしの心』を反映したロケットなのです」
岡田さんは「H3は『おもてなしの心』を反映したロケット」と語る
「これまで課題だった打ち上げにかかるコストも半分程度に抑えられる予定です。さらに、H3は現存するロケットと同等かそれ以上の能力を誇ります。コスト面、性能面の特色を打ち出すことで、諸外国が使っている2機搭載ロケットとも十分に勝負できると考えています」
「安全だけど高価」なイメージから、「高性能でコスパに優れた」ロケットへ。H3は従来までのイメージを払拭し、新たなビジネスの創出をも見据えている。
後継者問題、これからの日本の宇宙産業のため・・・H3は未来への投資だということはわかった。その考えに異論はないが、H3開発プロジェクトに税金が使われているならば、今を生きる私たちに何らかのメリットがほしいと思うのが納税者の本音ではないだろうか。
H3によって私たちの暮らしは何か変わるのだろうか?
「H3しかり、ロケットや宇宙技術だけで社会を変えられるとは思っていません」
こちらの問いかけに対して、岡田さんは躊躇なくそう言い切った。はじめは自信のなさから出た言葉かと思ったものの、話を聞き進めるうち、私たちが受けている宇宙開発の恩恵の本質に気づかされた。
「地上で取り組まれている技術開発の方がずっとスピードが速く、それと協調することでこれまで夢だったようなすごいことができるようになりつつあります。たとえば漁業。宇宙から海の温度と海流を観測できるようになったことで、マグロが泳ぐ場所を推測できるようになりました。これにより漁が格段に効率化され、船の燃料も削減できています。今話題の自動車の自動運転も、GPS衛星を駆使した技術革新です」
ああ、たしかにそうだ。宇宙開発と聞けば、はるか空の彼方のこと。しかも限られた世界の話と想像していたが、実は地上のあらゆるサービスを支えているし、地上のサービスがなければ宇宙開発は意味がない。宇宙開発はまさに“縁の下の力持ち”という表現がぴったりだ。
「地上の新しい試みと宇宙開発がうまくリンクして、より技術の進化が加速するという変化のイメージは自分なりに持っています。宇宙のミッションが増え、さまざまな分野のヒト、モノが宇宙とリンクし始める。そうなれば宇宙産業という定義そのものが、これまで宇宙の範疇だと思われていなかったようなものにまで広がっていくのです。そうした機会をほんの少しでも後押しすることを、我々ロケット開発に携わる者がお手伝いできればいいと思っています」
2時間弱のインタビュー中、終始冷静に回答してくれた岡田さんだったが、未来を語る岡田さんの表情はどこか朗らかだった。
H3プロジェクトはまだ始まったばかりだ。今後の日本の宇宙開発がどのくらいの規模で行われていくのかは、まだ明らかにされていない。しかし、少なくとも宇宙開発があることで私たちの暮らしがますます便利になっていくということだけは確かなようだ。
(執筆:砂山幹博-cube 写真:貴田茂和)
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