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- 元専業主婦「パートのおばちゃん」東証1部上場企業の社長に就任
- 出会いは単なる偶然…。結婚18年目の不安と転機
- 「俺とブックオフ、どっちが大事なんだ?」妻と母の成長を支えた家族の優しさ
- 名前の無い『母』ではなく「橋本真由美」個人として認められた喜び
- 自分から勝手に挙げた「正社員になります!」宣言
- 全ては現場に支えられている!M&Aの議論よりも大事な店舗とスタッフの生産性
- 「超つらい」ことの後に待っている「超楽しい」を体感してほしい
■元専業主婦「パートのおばちゃん」が東証1部上場企業の社長に就任
2006年、ブックオフコーポレーションの代表取締役社長に一人の女性が就任しました。
橋本真由美さん。彼女はその異色の経歴からメディアの注目を集めました。
結婚後、専業主婦として18年間家事と子育てに専念していた橋本さん。41歳でパートスタッフとしてブックオフに入社して以降、「常に現場の店舗のことを考え続けてきた」と語ります。
現在も取締役相談役として全国の店舗を飛び回り、現場のスタッフとともに汗を流す日々。橋本さんはどのようにブックオフの仕事と出会いキャリアを積んでいったのでしょうか。
2人の子を持つ専業主婦から、全国約1万人の従業員を叱咤激励する「ブックオフのお母さん」となった橋本さんに、ご自身のキャリアと、仕事に対する思い、そして若手ビジネスパーソンへのメッセージをお聞かせいただきました。
■出会いは単なる偶然…。結婚18年目の不安と転機
▲ ブックオフ1号店である千代田店(神奈川県相模原市)の当時の写真
――橋本さんがパートスタッフとしてブックオフに入社されたのは1号店オープンのタイミングなんですよね?
橋本:はい。ブックオフ1号店の千代田店(神奈川県相模原市)は1990年の5月2日にオープンしたのですが、私が入社したのはその直前の4月17日。なぜかその日付をしっかり覚えているんですよね。
自転車に乗って、初めて出勤した日です。
――それまでは専業主婦だったのですよね?
橋本:結婚してから18年間、優秀でまじめな専業主婦でしたよ(笑)。
2人の娘がそれぞれ高校生、中学生になり、今後必要になる学費の足しにしようと思って軽い気持ちで始めたんです。当時はビジネスウーマンとして活躍しようという思いはなかったし、ましてや経営に関わるなんていうことは想像もしていませんでしたね。
――働き始める際に不安なことはありましたか?
橋本:ええ、これを話しても誰も信じてくれないんですけど……。私は子どもの学校の懇親会で自己紹介するだけでもドキドキしてまともに話せないくらい、あがり症だったんです。
先生の陰に半分隠れて「橋本の母でございます……」と。
――とても意外です(笑)。
橋本:本当なんですよ。そんな風にして18年間家庭に入っていた私が外に出て、パートとはいえお金をもらうために働くというのは、大きな不安がありました。
――ブックオフで働こうと思ったのはどうしてですか?
橋本:もともと私は栄養士の資格を持っていて、本当は自宅の近くにあった研究機関の食堂で働きたいと思っていたのです。でもそこの求人は埋まっていて入れなかった。
それで、偶然見つけたブックオフに応募しました。
――不思議なご縁だったわけですね。
橋本:ねえ。今にして思えば、本当に偶然の出会いだったブックオフが仕事を極める機会を与えてくれたのです。人間、どんな分野で花開くか分かりませんね。
■「俺とブックオフ、どっちが大事なんだ?」妻と母の成長を支えた家族の優しさ
――働き始めるにあたって、ご家族の反応はいかがでしたか?
橋本:5年前に他界した夫からは、最後まで理解は得られませんでしたね。
仕事で遅く帰るようになって、「俺とブックオフ、どっちが大事なんだ」と言われて。しょっちゅう夫婦げんかをしていました。私は「ブックオフです」と(笑)。
私が仕事を頑張っていてもほめてくれることは最後までありませんでした。
でもね、こっそりと私がインタビューを受けた新聞記事のスクラップをいっぱい集めていたんです。後で夫の会社の方から聞いたんですが、「新聞を広げてよく奥さんのことを自慢していましたよ」って。
――心の中ではうれしかったのかもしれませんね。
橋本:家では一言も、何も言わなかったのにね。男の人って面倒なところがあるのよ(笑)。
――お子さまの反応はどうでしたか?
橋本:専業主婦をしていたころは典型的な教育ママで、偏差値ばかり気にしていたし、門限は18時、添加物の入ったおやつはダメ。そんな厳しい母親だったんですが、仕事にのめり込むうちに家事は少しずつおろそかになってしまって。
「子どもに悪いことをしたかな」とずっと思っていたんですが、最近娘たちと話していたら「特に大変だった覚えはないし、気にしてない」って言うんです(笑)。
働く母親を見て、内心は理解してくれていたのかもしれません。働くお母さんから、「子どもに対して後ろめたさを感じる」という話を聞くこともありますが、気にし過ぎなくていいと思いますよ。
遊んでいるわけじゃないんだから。頑張る母親の姿を、子どもはしっかり見てくれているはずです。
■「橋本真由美」個人として認められた喜び
▲現在のブックオフの店内
――実際にブックオフの仕事を始めて、「面白い」と感じるようになったのはいつごろからだったのでしょうか?
橋本:2週間が経つころには、すっかりはまっていましたね。オープンに向けて手作業で商品棚を仕上げながら、「これを何とかして間に合わせなきゃ」って。
入社前は「子どもの塾の送り迎えがあるので16時に上がります」とか、「土日は働けません」とか条件をいっぱい付けていたのに、気付けばすっかり仕事に夢中になっていました。
――どうしてそこまで仕事にのめり込めたのですか?
橋本:一つは「橋本真由美個人として認めてもらえる」ことがうれしかったんです。
それまではずっと家庭にいて「橋本さんの奥さん」「○○ちゃんのお母さん」でしたからね。給与振り込みのために自分名義の口座を開設したことも新鮮でした。ずっと夫の通帳で生活していたので。
二つ目は、「お金が入ること」です。当時は時給600円で、月額にしても6~7万円くらいでしたが、夫の給料のほかに収入があるということが本当にうれしかった。子どもにも洋服1枚多く買ってあげられたりね。
三つ目が「中古書店の仕事の魅力」。中古本を買い取らせていただき、きれいに磨いて、拭いて、陳列して……。それが売れたときの喜びは、何とも言えないものがありました。
――仕事のモチベーションを保つ秘訣のようなものはありましたか?
橋本:仕事でほめられることがすごくうれしかったんですよ。当時の社長である創業者から「橋本さんの作った棚からこんなに売れたよ!」と言われて、また頑張ろうと燃えていました。
仕事を公平に評価されて、自由度のある「やり場」が与えられていたんです。これは会社を経営する上でもとても大切だと思っています。
――看板などで有名な「お売り下さい」のキャッチコピーも、橋本さんが考案されたんですよね?
橋本:はい。中古品の販売は、とにかく在庫が命なんです。買い取りに持って来ていただかなければ仕入れが成り立たず、商売にならない。だから「高価買取」といったような上から目線の言葉にはせず、一冊でもいいので買い取らせていただきたいという思いを込めて「お売り下さい」という看板を出しました。
マニュアルにもその思いを反映させていったんです。お客さまの車が駐車場に入り、トランクに大量の本を詰めた段ボールがあったら、スタッフが走って受け取りに行く。そんな風に行動を変えていきました。
■自分から勝手に「正社員になります!」宣言
――入社2年目でパートのまま店長になっていますが、「社員になってくれ」という声は掛からなかったのでしょうか?
橋本:いえ、全然。当初は扶養控除の範囲内で働き続けたいと思っていましたからね。ただ、店の売り上げに対してはとても貪欲でした。当時人気だった『ドラゴンボール』や『スラムダンク』の漫画本が入荷したら、「何とか今日中に陳列すれば明日の売り上げにつながる」と思うんですが、勤務時間の制限がある。
どうやったらもっと長時間働けるんだろう? と考えて、「そうか、正社員になればいいんだ!」と。
――そんな理由からだったのですね(笑)
橋本:そうなんです。だから自分から「私、社員になります!」と言いに行きました。
創業者は「このおばさん何言ってるんだろう?」という反応でしたけどね(笑)。仕方なくなんでしょうが、正社員にしてもらいました。
――会社に請われて正社員になったわけではないのですね。
橋本:違うんです。「これをやれば売り上げが上がるのに」という状況を放置していられなかったんですよ。
「粗利」などの知識はありませんでしたが、昨日より5万円売り上げが増えた、という状況は見ていれば分かりますからね。貪欲に数字を追いかけていました。
――正社員になってからは、仕事の幅は広がっていきましたか?
橋本:そうですね。創業者からもいろいろなミッションが飛んできました。直営店を取りまとめる課長になったり、店舗展開を進めるために商品センター長になったり……。
1人何役もこなしてとても大変ではありましたが、任せてもらえる喜びが大きかったですね。
人もどんどん増えていき、仕事の楽しさを伝えていきながら、どんどん店舗を増やしていったんです。とてもやりがいがありました。
■全ては現場に支えられている!M&Aの議論よりも大事な店舗とスタッフの生産性
▲書籍やソフト、アパレル、ブランド品などを取り扱う中型店舗「BOOKOFF PLUS(ブックオフプラス)」の売場写真
――そして入社4年後には取締役になられています。ブックオフもすでにこの年100店舗(加盟店含む)を達成しました。
橋本:会社のいろいろなルールを決めたり、商材を増やしたりする立場となって、「現場との乖離」を感じるようになりました。どうやって現場の思いを伝えていくか。
今でもずっとそうですが、現場に入り続け、数字や机上論では見えない事実を見つけていくことが大切だと思っています。
――経営者の立場としても現場と関わってきて、思い出深いエピソードはありますか?
橋本:2年ほど前の話ですが、とある不採算店舗のことが社内で議論になっていました。「私が立て直してくる!」と、店長を買って出たんです。
――現場に戻られたのですね。
橋本:はい。でもそれがなかなか上手くいかなくて。以前と違い私も体力がないものですから、店を立て直すためにスタッフには強く言いながらも、自分が動くということができない。
17時まで店に立っていると腰が痛くなってきちゃったりしてね。CDの発売日を見ようとしても、字がこまかくて見えない。「トレカ」などの最近の流行にも疎くなってしまっている。
「現場の仕事の基本がままならないのにリーダーは務まらない」と挫折してしまいました。スタッフとのコミュニケーションもままならず、「皆、反発しているんだろうな」と思いながら、ある日一人でストッカー(商品棚の下の補充用棚)を掃除していたんです。
そうしたらスタッフが皆で私の周りを取り囲んで、「橋本さん、昨日も遅くまで会議だったんですよね。あとは私たちがやるので、もう上がってください」と。
「もうダメかも……」と思っていた後ろ向きな気持ちが一気に吹き飛びましたよ。
――今でも店頭に立つことはあるのですか?
橋本:はい。どこかの店舗から今日スタッフが足りないという声が上がってきたら、「あら、私入れるわよ」って。
だけど皆「(来なくても)大丈夫です」って言うのよ(笑)。それでも店舗には積極的に顔を出しています。現場に出ないと分からないの。たとえば先ほどのストッカーには簡単に引き出せるようにレールが付いているんですが、シリコン製なので本を大量に収納しているとだんだん潰れてきちゃうんです。
そうなると、開け閉めにすごく力を入れなきゃいけない。スタッフはそれを1日何回もやるわけですよ。
そんな様子を見ているから、取締役会で経営陣がM&Aについて話しているときに「それよりもまず○○店のストッカーを入れ替えましょうよ」「ストッカー1つでどれだけ生産性が上がると思っているの」って(笑)。
現場の働きやすさは会社の業績に直結しますからね。トイレの改修や雨漏りがする屋根の修繕なんかも、現場で見てきた問題点は全部提起しています。
■「超つらい」ことの後に待っている「超楽しい」を体感してほしい
▲「BOOKOFF PLUS(ブックオフプラス)」の外観写真
――橋本さんから、若い世代のビジネスパーソンへ伝えたいことはありますか?
橋本:そうですね。まずは、「目標を持つ」こと。車が欲しいとか、彼女と結婚したいとか、老後に備えてお金を貯めたいとか何でもいいんですが、人は目標を持っていれば行き詰ったときにもぶれません。
二つ目は私が若い人の真似をして勝手に考えたんですが、「超つらいけど、超楽しい!」という言葉。仕事をしていて本当につらいときもあると思います。先ほど話した店舗立て直しもそうですが、うまくいかないときは「超つらい」んです。
だけど、自分の行動や誰かのちょっとした一言で「超楽しい」に変わる瞬間が必ずあります。それを体感するまでは、目の前の仕事に必死で取り組むべきだと思いますよ。
三つ目は「稼げる人になれ(会社にとって必要な存在になれ)」ということ。
オールマイティに活躍できなくても、何かしらの専門性を持って「この人にはこれを任せたい」と思われる人は、どんなに不景気でもリストラされることはありません。
たとえば私は、財務なんてできないしITも難しくてついていけない。でも現場なら誰にも負けません。不振店を繁盛店にすることができるという自負を持っています。「満遍なくこなせる人になる」よりも「何か一つ人に負けないものを持つ」ことが大切だと思いますね。
――まずは目の前の仕事に打ち込むべきだということですね。
橋本:私自身がそうでしたが、たまたま自分に与えられた目の前の仕事が、大きな意味を持っていたりするんですよ。一つの仕事を極めるということは大きな意味を持っていると思います。
――今の若い世代の中には、将来のことが見えにくく、目標を持ちづらいと思う人もいるのではないかと思うのですが。
橋本:現実には老後がどうなるのか、格差社会が広がっていくのではないかと不安になる気持ちはよく分かります。だけど計画は立てるべき。「5年後に起業する」といった立派な目標もそうですし、1年後とか半年後、身近なところでもいいと思うんですよ。
そうして目標と計画を大切にして、仕事に向き合ってみてもらいたいですね。「超つらい」と思っていたことが、必ず「超楽しい」に変わる瞬間が来ますから。
――今後はどのように変化していこうとしているのですか?
橋本:以前のブックオフは、どちらかというとスタッフの専門性を消してきたんですよね。統一したマニュアルで成長してきて、それ自体は悪いと思っていません。
でもブックオフは今は本やCDだけではなく、洋服や家電なども扱う総合リユース業に進化しています。「このカメラの性能は……」と語れる力が必要になっていくので、専門性の面ではより磨きをかけていかなければいけませんね。
――橋本さんはこれからも現場に出続けるのでしょうか?
橋本:もちろん。経営者としてもさまざまなことを経験しましたし、「本当に会社が潰れるのではないか」という危機感を持ったことは何度もあります。でも、その危機を乗り越えるきっかけや答えは、常に現場にありましたからね。
1990年の4月17日以降、現場から心が離れたことは一度もありません。卒業できたら楽になるのかもしれませんが(笑)。もう少し、頑張りたいと思っています。
<文・多田慎介>
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