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元は花札屋だった? ファミコン・Wii・Switchだけじゃない「任天堂」の約130年が激動すぎる

※画像はイメージです

今や世界的ゲームブランドとして、海外にも多くのファンを持つ「任天堂」。ですが、その始まりをご存知の方はそう多くないのではないでしょうか。実は任天堂の歴史は“ファミコン”発売から100年も前に、花札屋として始まっているんです……!

■花札解禁とともに生まれた任天堂。戦前〜戦時中は日本一のカード会社だった!

江戸時代、賭博に使われることが多かったかるたや花札は幕府によって禁じられていました。しかし、明治時代後期である1886年についに花札が解禁。そして、そのわずか3年後の1889年に、実業家であり工芸家であった山内房治郎が「任天堂骨牌(かるた)」を設立し、花札の製造・販売事業を始めました。これが任天堂の歴史の始まりです。

プロの賭博師は勝負のたびに新しい花札を下していたため、花札は房治郎に大きな利益をもたらしました。1907年からは、日本ではじめてトランプに製造を開始します。さらに房治郎は、トランプや花札が煙草の箱とほとんど同じサイズであることに気がつき、タバコ事業を一手に担う国営企業「日本専売公社」に話を持ちかけ、タバコの流通に自社商品を乗せるという驚きの流通経路を確保。その結果、任天堂は日本一のカードゲーム会社として知られる存在になりました。

■「株式会社任天堂」と社名を改め、ユニークな電動おもちゃを続々リリース!

その後、様々なカードゲームを製造・販売。ディズニーキャラクターの絵柄がついたトランプや、セクシーな女性の写真がプリントされたトランプなどバラエティ豊かな商品を世に送り出します。1953年には日本で初めて、プラスチック製トランプの製造に成功し、世間を驚かせました。

そして1963年、ついに「株式会社任天堂」と社名を改め新たなスタートを切ります。その年を境に、タクシー会社や食品メーカーなどの子会社を次々立ち上げたものの、翌年には全国的に花札やトランプが流通してしまったことが原因で売り上げが低迷し、どれも数年で撤退。最終的にたどり着いたのは電動玩具でした。

最初に販売したマジックハンド風の『ウルトラハンド』は120万個を売り上げる大ヒット。続いて、ピッチングマシン『ウルトラマシン』や遠隔操作が可能な掃除機『チリトリー』、“愛情測定器”『ラブテスター』など、独創的なおもちゃを次々に発表。その後も電動玩具で培った技術をさらに発展させていくことになります。

■独自の技術を磨き、革新的なゲーム機を開発! 日本が誇る文化的企業に

1970年代に入るとアーケードゲームの人気が高まってきます。そんな最中の1977年、任天堂は電動玩具の技術を生かし、『カラーテレビゲーム15』を発売。15種類のゲームを内蔵させた家庭用ゲーム機として人気を博しました。そして1980年には全世界で累計4300万台以上を売り上げたと言われる携帯型ゲーム機『ゲーム&ウォッチ』を発売します。この2つの商品によって、任天堂は稀代のゲームブランドとしての礎を築きました。そして1983年、ついに伝説的家庭用ゲーム機『ファミリーコンピュータ』(通称ファミコン)を発売するのです。

ファミコンは国内1900万台以上を売り上げ、社会現象を巻き起こしました。そこから先はご存知の通り。『ゲームボーイ』や『スーパーファミコン』、『NINTENDO64』、『ニンテンドーDS』『Nintendo Switch』など、名だたる名ハードを生み出し続け、セガやSONYといったライバル企業と激闘を繰り広げながら、今もゲーム界の先頭を走り続けています。

−−130年前の花札から、2020年の名ソフト『あつまれ どうぶつの森』まで、任天堂は“新しいことに挑戦して、人を楽しませたい”という強い信念を胸に走り続けきたと言えるでしょう。

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